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Selfishly

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追跡者 5章



「くっそー、ここも空振りかよ~」
 はぁーとため息を吐きながら、しゃがみこむ。
「仕方ないよ兄さん。 ここはもともと、あんまり信憑性ある情報じゃなかったんだから」
 表情が見られれば、兄の落胆振りに、苦笑を浮かべて答える彼が
見えただろう。
「ってもよー、もう少しマシかと思うだろー。 せめて、その後に
続くような手がかりの一つでもって」
 むしゃくしゃした気持ちのまんま、足音も高く踵を返す兄に、
アルフォンスも、慌てて追いかけては話しかける。
「ねえ、そろそろ一旦イーストシティーに戻ったほうがいいんじゃない?」
「必要ねえ」
 弟の問いかけに、すげなく返して、むっつりと黙り込むエドワードに、
アルフォンスは心の内でため息を吐き出す。

 前回に東方を出てから、すでに3ヶ月以上の月日が経っている。
これだけ長く離れているのは、珍しい。
 兄と大佐は、なんだかんだと言いながらも、結構、マメに顔をつき合わせてきた方だ。
 それにある一定の期間が過ぎると、大佐の方から帰還命令が届いていたりもしていたのに、
ここ最近は、全く連絡も来ない。 信憑性の高い情報も、それに繋がる文も、
大抵は大佐が集めてくれていたものだから、今はそれ無しで動かなくては
ならず、空回りも増えてきている。

「兄さん、やっぱり1度、戻ろうよ。 何か新しい情報とか、文献も
入ってるかも知れないよ」
 アルフォンスの尤もな言葉にも、なかなか素直に頷けない。
 が、そろそろ独自で動くにも限界は感じている。 前回の事があってから、
ロイに会いたくないと思ってはいても、事実動けないように
なってきているのも現状だ。 そろそろ潮時なのも感じてはいる。
 それに、別にロイに、何が何でも会いたくないと思っている…と、
言うのとは少し違うのだ。 エドワードには、この前のロイの様子が
引っ掛かっている。 ロイの願っている事も、思っていることも、
エドワードには良くわからないままだ。 何があれ程、ロイを怒らせて、
そして傷つけたのか…、そう、あれは傷ついていた姿だ。
 エドワードの方が傷ついていて当然なのに、結果はロイの方が、
自分より深く傷ついていた。 と、冷静になった今なら、理解できる。
 でも、どうしてそうなったのかは、あの時の話の流れを考えても、一向に
思い当たらないで来てしまった。 だから、今は戻らないと言うか、
戻らないほうが良いのではないかと思っていた。
 答えを見つけれずに戻っても、またああして、ロイを傷つけてしまうかも
知れないのだ。 出来れば、ロイには余り傷ついて欲しくはなかった。
 ロイの痛みは、知らずにエドワードにも感染したように拡がって行く。
 どうしようもない、もどかしい痛みは、酷くエドワードの心をざわめかせる。 
 そんな事を考えながら、隣に歩くアルフォンスの姿をチラリと盗み見ると、
エドワードは自分の考えを振り切るように、戻る事を決意する。
「まぁ、しゃーないか。 一旦もどるぞ、アル」
「本当に? わぁ~、良かったー。 僕も、久しぶりに皆の顔も見たいし、
ブラハとも遊びたかったんだー」
 嬉しそうに返すアルフォンスを見ながら、エドワードは自分の心に蓋を
する。 エドワードにとって、アルフォンスを元に戻すことが唯一で、
絶対の事なのだ。 瑣末な自分の心の動きなど、気にするほどの事でもない。
 それに…と考える。 前はたまたま、大佐の機嫌が悪かっただけかも
知れない。 嫌な会議に出た後だったから、きっと優秀すぎて
嫌われているあの男は、しこたま嫌味を言われたのだろう。
 そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなる。
「じゃあ、早速行こうぜ!」
 急に、明るくなった兄の様子に、アルフォンスは小首を傾げるが、
元気になってくれた事に不満はない。
「うん! 戻る前に電話入れなくちゃね」
 そう付け加えると、途端に渋る兄を諫めるように念を押のも忘れない。
 気苦労の多い、出来た弟だった。




  ***

「ちわ~っす」
「こんにちは~」
 仲良く揃って司令部に顔を出すと、何やら中は険悪な雰囲気が漂っていた。
 どうしたんだろうと、二人で顔を見合わせて、
中の様子を窺ってみる。

「中尉、どうやら大佐は司令部内には居ない模様です」
 ビシッと音が聞こえてきそうな、かっちりとした敬礼をしながら、
余りしたくない報告を告げる。
「そう…」
 短く返された返事は、周囲の気温と周辺のメンバーの心臓を
凍らせるような冷気を放っている。

 そんな中の様子を、入り口近くで見ていたエドワード達は、そっと
互いに頷きあって、そろりと足を動かす。 扉の外…、要するに廊下へと。
「あら、エドワード君達じゃないの」
 丁度良いとばかりに、嬉しそうにかけられた言葉に、
反転させようとしていた身体を止める。
「こ、こんにちは…。 あのぉ、なんか忙しそうだから、出直すよ」
「そうです、僕らには構わないでくれて、大丈夫ですから」
 腰が引いている二人の挨拶に、ホークアイはとんでもないと、
にこやかな挨拶を返す。
「何を言ってるの。 久しぶりなんだから、そんなに遠慮しないで。
さぁ、入って頂戴」
 手招きをされているような状況で、断るには勇気がいる。
「そ、そうですか…、じゃあ、アル。 お前先に行けよ」
「えっ、ええー! だって、大佐に用があるのは兄さんが先でしょ?
だったら、兄さんが先に行くべきだよ。 あっそうだ、僕、先に中庭の
ブラハにも、挨拶してこよ~と」
 そう言って、そそくさと去っていくアルフォンスを引き止める間もなく、
エドワードは司令室に一人、取り残される。
「ア、アル~。 お前、兄ちゃんを置いていくかぁ」
 情けない呟きも、中で早速とお茶の準備をしてくれている中尉には
届かなかったようだ。
「はい、エドワード君どうぞ」
 差し出されたテーブルに、お茶まで置かれれば、エドワードとては、
そこに行かずにはおられない。
「ご、ごめん。 何か慌しいときに来ちゃった様で」
 恐縮して座るエドワードに、ホークアイは軽く首を振る。
「いいえ、そんな事は気にしないで。 二人が今日帰ってくるのは、
ちゃんと連絡をくれてたんだから、大丈夫よ」
 にこやかに語られる言葉に、ホッと息を吐く。
「でも、困ったことに大佐が捕まらなくて…」
「そうみたいだな…、珍しいよな?」
 と、エドワードが返事を返すと、それに困ったような苦笑を浮かべて、
ホークアイもお茶に口を付ける。
「?」 エドワードが、怪訝そうに首を傾げて、他の周囲のメンバーを
見回すと、皆一様に、苦笑を浮かべている。 それにエドワードは、
内心で不思議に思う。 確かに大佐は、さぼり癖があったようだ。
 ようだと言うのは、エドワードが来る時には、居なかった事等なかったし、
行き先もわからなかった事も記憶にないからだ
 それに、昔はと、皆が言っていたような記憶があるのだが…?
 一人事情が飲み込めていない様子を見せるエドワードに、
横からハボックが説明をしてやる。 
「確かに、ちょっと前までは収まってたんだよ、大佐のサボり癖。
 んでも、なんでか数ヶ月前から、また再熱してさぁ、もう、俺らも困るは、
野郎連中は嘆くわな状況なのよ」
 ハボックの言葉に引っ掛かりを覚えたエドワードが聞き返す。
「少尉たちが困るのはわかるけど、何で、野郎連中まで困るんだ?」
 首を捻るエドワードに、ハボックが力を入れて語る。
「当たり前だろ! お前は、あんま知らないだろうし、被害にあうのも、
まだ早いからわかんないだろうけど、その気の時の大佐は、フェロモンでも
撒いてるんじゃないかって位、女が靡くんだよ!
 お、俺なんか、ここ数ヶ月で何度、痛い目にあってるか…」
 くっと涙ぐむハボックの肩を、労わるように、本当は呆れているのかも
しれないが、ブレダが叩いてやる。
 ハボックの言葉を整理して、エドワードは導いた結論を話す。
「えっ…と、それって、大佐が女の人と出かけてるって事?」
 言いながら、そんな情景を思い浮かべてみるが、余り実感がわかない。
 あの大佐が…?が。
「そうだよ! 出かけてるなんて甘いもんじゃない、デート、
デートに行ってるんだよ」
 拳を振り上げて憤慨しているハボックに、冷静な声が落ちる。
「ハボック少尉、そんなつまらない事はどうでもいいんです」
「つ、つまらない…」
 淡々と告げられた言葉に、ハボックがショックを受けているのも気に
かけずに、ホークアイはエドワードに向き直る。
「と言うわけで、大佐はちょっと町に出かけているようなの。 
でも、エドワード君も大佐に用が有ったんでしょ?」
 にこりと告げられた事に、引きながら、曖昧な答えを返す。
「いや…、俺は、別にそんなに急がないし…」
「困るわよね?」
 断定されて告げられれば、頷くしか仕方がない。
「まぁ…、居たほうがいいけど…」
「でしょ? 私たちも丁度、居てくれた方がいいんだけど、今日は生憎、
中央からの将軍のご家族が来られるんで、皆手が離せないのよ。
 ついでだから、エドワード君が、探して来てくれるかしら?」
 ホークアイの言葉に、なんとなく予想が付いてはいたが、驚く様子を
見せるエドワードに、彼女がにっこりと駄目押しをする。
「お願いね。 頼りにしているわよ」

 そうやって、半場強制的に送り出されたエドワードは、アルフォンスを
呼びに行こうと中庭に足を向ける。 が、すでに逃亡…、場所を変えたのか、
その場に居ないアルフォンスをしばらく探し、
あきらめて一人で街へと出かけていく。
「っても、どこに行けばいいんだよ」
 ぶつくさと不満を零しながら、大佐が行きそうな場所を考えてみる。
 古書屋や、ケーキの美味しいカフェ、料理の美味しいレストランや食堂。 エドワードに思い浮かぶのは、自分が連れて行ってもらったとこしか、
思い浮かばない。 じゃあ、女性とならどこに行くのかなど皆目だと思ったが、
考えてみれば、自分達が行った所でも、別に女性連れでおかしくはない。
 と言うか、カフェ等は女性かカップルしかいなかったような。
 大佐は特に甘いもの好きと言うわけではないから、あれはあきらかに
エドワードの為に選んだ店なのだろう。
 『じゃあ、今も、女の人が好きそうな店に行ってるのかな?』
 そう思い及ぶと、胸の内に不快な気持ちが浮かんでくるが、そんな思いは
間違いだと、頭を振ることで、消し去ろうとする。 
 
「坊や、どうかしたの?」
 横の商店の女将だろうか、店前で頭を振っている挙動不審なエドワードを
心配して、声をかけてくる。
「えっ? あっ、いえ、そのぉ」
 ヘヘヘと愛想笑いして、言葉を濁す。
「何か困った事があるようなら、言ってみな。 おばちゃんが、相談に
乗るよ?」
 人の良い女将なのだろう。 エドワードを覗き込むように、
話しかけてくる。
「えっ~と、困ったとかじゃないんだけど、ちょっと人を探しててさ。
女性が好きそうな店って、どこら辺にあるのかと」
 言いにくそうに照れながら話す様子に、女将は朗らかに、いかにも
わかったと言うように、大きく頷くと、エドワードの背中を丈夫そうな腕で
叩く。
「そっかい、そっかい。 坊やの彼女を連れていくんだね。
 じゃあ、とっておきの店を教えないといけないね」
 あはははと高らかに笑いながら告げられた言葉に、
背を叩かれたエドワードが咳き込みながら、慌てて返事を返す。
「ち、違う! 人を探してるって言っただろ」
 焦って答えるエドワードに、からかうように話を続ける。
「そんなに照れなくてもいいんだよ。 まぁ、坊やには
ちっとばかり早そうな気がしないでもないけど、まぁ恋に歳は関係ないしね~」
「だーかーら!違うっての、探し人! ロイ・マスタングって奴を
探してるんだよ! そいつが、女性とデートしてるってから、
探しに行けっていわれてんだよ」
 女将の話の隙を付いて、一息で誤解を解く為に説明をする。
 エドワードの言葉に、ぱちくりと目を瞬かせて、エドワードを
じっと窺うと、ふんふんと頷く。
「そういや、そうだろうね。 坊やには、ちょっとじゃなくて、
まだまだ先だろうからね」
 ホホホと大笑いすると、自分一人で納得している。
「なっ!」
 瞬間、沸騰しそうになった気持ちを落ち着けて、ギリギリと
歯噛みしながら、質問の答えを促す。
「んで、どこに行ったらいいんだよ、そのぉ…女性が好きそうな場所って」
 悔しいが、アドバイスは欲しい。 そんなエドワードの様子に、
快く答えを返してくれる。
「まぁまぁ、坊や。 そう不貞腐れないでさ。 あんたも、
可愛い顔してるから、大きくなったら、きっとモテモテになれるさ。
 で、女性の好みの店ってのは、一杯あるさ。 でも、お探しの
マスタング大佐なら、さっき、この道左のカフェに行こうって
誘われてたから、そこに居るんじゃないのかい? 
良い男だよね~、あたしも旦那が居なけりゃ、1回くらいは
誘うんだけどねー」
 惜しそうに、そんな事を呟いている女将に礼を言って、
足早に教えてもらった方向に走り出す。
「あんたも、大きくなったら頑張りなよー」
 そんな余計なお世話の声援を聞きながら、エドワードは心の中で
毒づきながら、その場をさっさと離れていく。
 
 言われたとうりに進んでいくと、確かに女性受けしそうな華やかなカフェが
見えてくる。 間口が広く、明るい雰囲気の店内は、通りからでも、
中が良く見えるようになっている。
 なんとはなしに、気後れしてしまい、店内に入りそびれ、外から様子を
窺ってみると、確かに女将の言ったとうり、女性と談笑しているロイの姿が
見える。 
『ハボック少尉が言ってたのは、本当だったんだな』
 少尉が言ったのを聞いたときは、余り実感が湧かなかったから、
怪訝に思っただけだが、こうして実際に目の当たりにすると、
さっき消した筈の不快感が、またぞろ湧き上がってくる。
 目の前の光景と、自分でも戸惑う感情の揺れに、エドワードは
途方にくれたように、立ち尽くす。 そんなエドワードを動かしたのは、
楽しく談笑しているはずのロイの瞳が、酷く虚ろだったからだ。
 あの瞳は、見たことがある…。 前に、無理やり俺を抱いていた間の
大佐の目と同じだ。 離れて、見ることで、それが何を思って
浮かべている瞳なのかに気づいた。 意に沿わぬ事をしている自分に
対する嘲笑であり、哀しみに近いのだろうか…?
 そう思うと、エドワードは居ても経ってもおられずに、
店内に飛び込んでいく。
 ずかずかと無作法に歩くエドワードに、周囲のものも批判を
込めた眼差しを向け、向けた相手が可愛い、綺麗な子供だと気づくと、
「あらっ?」と驚きを示す。
 店内をざわめかすエドワードの事は、当然ロイ達にも伝わる。
エドワードの方に視線を向けると、瞬間目を瞠るが、ふいと視線を
逸らして、女性との会話を続ける。
「無視すんじゃねえよ。 おらっ、さっさと帰りやがれ。
 職務中だろうが、アンタ」
 ロイ達の席の傍まで来ると、エドワードが横柄にロイを急かす。
「全く、無粋な事だな。 と言う事で、見つかってしまったようなので、
残念ですが、今日はここまでで」
 向いに座る女性の手を取り、甲に軽く口付けると、ロイは魅力的な笑みを
見せながら、そんなセリフを囁く。
 そんな相手に、うっとりとしながら、本心から女性が惜しむ別れを告げる。
「まぁ、もう行ってしまわれるのですか。 まだ、次のお約束も
頂いておりませんのに?」
 嫣然と微笑んで告げられた言葉に、ロイは軽く会釈をして謝りを告げ、
次の約束を口にする。
「これは、私としたことが。 貴方の美しさの前で、
柄にもなく上がってしまったようです。 では、明晩お誘いしても…」
 エドワードを全く無視して、進められる会話に、痺れを切らせたエドワードが、
怒鳴り声を上げる。
「いい加減にしろよ、アンタ! 迎えに来てやった俺を待たせるとは、
いい度胸じゃねえか」
 胸の前で指を組み、ボキリと音を鳴らしながら、凶悪な笑みを
浮かべるエドワードに、ロイはさも仕方ないと言う風に、大袈裟なため息を
付きながら、女性に別れを告げて立ち去る。

 店を出て、どちらも会話を振る事無く、黙々と司令部までの道を歩く。
 気乗りしない様子で、ロイはどうでも良さそうに、聞いてくる。
「何故、君が?」
「ホークアイ中尉からだよ。 なんか今日、中央から将軍の家族が
来るってんで、人手が足りないとかで」
「ああ…、そう言えばそんな事を言ってたな」
 気乗りしない様子でそんな風に返すと、また、黙り込む。
 しばらく、だんまりのまま歩いていたが、ポツリとエドワードが
言葉を漏らす。
「あんた、ああいうのは止めとけよ」
 予想外の言葉に、ロイは思わずエドワードをじっと見返すが、
エドワードの表情には、特に何の感情も読めない。
「それは何かね、焼餅を焼いているとでも?」
 そんなわけがない事はわかっていても、思わず口にしてしまう。
 が、やはりエドワードからは、素っ気無く返されるだけだ。
「んなわけないだろ。 別に、あんたが本当に好きでやってるんなら、
俺が止める事でもないだろ、でも、そうじゃないなら
止めとけばいいじゃんか」
 ロイは、怪訝な気持ちでエドワードの言った事を思い返す。
 彼は、何を指して言ってるのだろう? 女性と楽しむ事を
止めるわけではない。 そんな妬心など、彼にはさらさらないだろうから。
 でも、そうじゃないから止めとけと言う。 不思議な言葉に、
ロイは思わず問いただしてしまう。
「どういう事だい? 私が好きじゃなく遊んでるとでも?」
 そのロイの問いかけに、今度はエドワードが驚いたように、
相手に目を瞠る。
「なんだね、その顔は。 言いたい事があるなら、言えば良いだろう? 
人を妙なものを見るような目で、見ないでもらおうか」
 苛立だしげに言われた言葉に、エドワードはどのように返事を
返したらよいのかと、思いあぐねる。
「いや、だって、あんた、ちっとも楽しそうじゃなかっただろ?
 何も自分をわざと傷つけるような真似…」 
 そこまで言いかけて、はっと口を噤む。 言い過ぎたと口を噤んで、
相手の様子を窺ってみると、暗い瞳の色が、更に暗く翳を浮かべて、
自分を見ている。
 自分をじっと凝視しているロイの視線に、居心地悪げに身じろぎをする。

「ほぉ…、君は私が楽しんでいないと、思っているわけだ。
 それはまた、私の事をえらくご存知のようだね。 女性との逢瀬を
邪魔しただけでなく、私の遊び方にケチまでつけて下さるとは、
どうやら君は、私より遥かに経験が豊富のようだね」
 冷めた物言いに、エドワードは酷く傷つけられた気になる。
「…俺は、あんたしか知らないから、そんな経験とかはないよ。
 でも、さっきのあんたの瞳ならわかる。 …前に、俺を抱いてた時に、
あんたはあんな瞳をしてた。 凄く辛そうだったから、俺はそんなあんたを
見るのが嫌だっただけだ」
 語尾が段々と小さくなっていくが、ロイの耳にはしっかりと届いた。 
「鋼の…。 エドワード」
 エドワードの言葉に衝撃を受けたように、ロイは茫然と呟き名前を囁く。
 周辺には、大通りで立ち止まっている二人に、怪訝そうな視線や、
好奇の視線が集まり始めていた。
 
 ロイは、エドワードの手を取ると、引っ張りながら、足早に歩き出す。
「ちょっ、ちょっと、手え引かなくても歩けるって。 おい、大佐」
 慌てて付いてくるエドワードの抗議の声を無視して、ロイはどんどんと道を
進んでいく。 
 段々と寂れた人気のない道に差し掛かってくると、エドワードが大佐に
呼びかける。
「大佐、大佐ってば! 道、違ってるぜ。 司令部に返るのは、向こうだろ」
 うろたえるエドワードに、大佐は構う事無く、路地の横道に入る。
 煩雑に積み上げられている荷物達で視界の悪い路地を、中ほどまで進むと、
ロイはピタリと歩くのを止めて、繋いだ手を引っ張って、エドワードを
抱きしめる。
「なっ! どうしたんだよ、こんなとこで」
 驚き慌ててもがくエドワードの耳元で、ロイは静かにと囁く。
「もう1度言ってくれ。 君は、私と以外、こんな経験はない?」
 ロイの問いかけに、顔を真っ赤にさせてエドワードが返す。
「あ、当たり前だろ! なんで、他の奴とまで」
「この先も?」
 その問いかけに、先に続けようとしていた憤懣が止まる。
『この先? 大佐以外と?』 大佐の質問に、自問自答してみる。
正直、先の事はわからない。 ただ、今は大佐以外となんて、
想像もつかないだけだ。 言葉に詰まりながらも、自分の考えを正直に
告げると、ロイはホッとしたように微笑んで、エドワードの肩の上に、
頬を置いて凭れてくる。
「た、大佐、重いって」
 エドワードの身体では、成人した男性を支えれるわけがない、
ヨロヨロとよろめいて、大佐に抱きこまれながら、壁に背をつく。
「エドワード…、私は楽しそうじゃなかったか?」
 聞かれた内容にどうしようかと思ったが、エドワードは正直に答える。
「気を悪くしたならゴメン。 でも、あの人と話している大佐の目は、
辛そうだったから…」
「あの時…君を無理やり抱いたときも、私は、そんな目をしていた?」
「…うん、同じ目してた。 あんたが辛そうだから、止めといた方が
いいと思って」
 そうかと呟いて、ロイは視線をエドワードに合わせる。
「君は…、怒ってはいないのかい? あんな事をした私を」
 微かな怯え滲ませた声に、エドワードは回していた手で、背中を軽く
叩いてやる。
「怒ってた、最初は。 でも…、何でか、俺よりもアンタのほうが、
ずっと傷ついてて辛そうだったか。
 だから、もういいんだよ、大佐。 俺も、もう怒ってないから」
 エドワードがそう告げると、ロイは瞬間泣きそうに顔を歪めて、
エドワードに顔を近づけると、許しを乞う動物のように、
ペロリとエドワードの唇を嘗めて、ゆっくりと、深く重ねてゆく。


 帰る道すがら、エドワードが嫌がるのを流して、ロイは手を繋いで
歩いている。
「ちょ、本当に司令部の近くに付くまでだからな。 
それと、人が来たら離せよ」
 キャンキャンと言い続けるエドワードの言葉に、「ああ」「わかった」と、
本当にそう思ってるのか疑わしい返事を、機嫌よく返してくる。
 仕方ないとため息を付きながら、ふと不思議に思って、
心に引っ掛かっていた事を聞いてみる。
「なぁ、なんで楽しそうじゃなかったんだ?」
 綺麗な女性だった。 普通の男性なら、あんなに綺麗な人と
デート出来れば嬉しいものなのではないだろうか?
 多分、ハボック少尉なら、凄く楽しそうで、嬉しそうにしていたはずだ。
 そんな問いを投げかけるエドワードに、ロイは深い嘆息を付く。
洞察力・観察力とも、大人顔負けの癖に、何故、そんな簡単な事も
理解してはもらえないのだろう。 
 ロイは言うべきか言わないでおくべきなのか、迷いながらエドワードの顔を見る。
 『君じゃなかったから、楽しくなかったんだよ』という事は簡単だ。
 ただそうなると、何故エドワードなら楽しいのかを伝えなくてはならない。
 果たして、今のエドワードに、それを受け止めてくれる気持ちがあるかどうか…。
 せっかく、仲直りをしたのだ。 今また直ぐに、気まずい関係になるのは、
ロイの勇気も覚悟も、少しばかり足らない。
「色々と、大人には事情があるのさ」
 そんな言葉で、エドワードの疑問を流すと、さぁ急ぐぞと、歩く足を速
める。 
 
 流して終わってしまった問いかけに、正直に答えていれば、自分達は
どう変わって言ったのだろう?
 正直に言えれば良かったのだ。 
『君が好きだから、愛しているから、他の者とでは楽しく思えないのだ』と。
 そして、受け止めてもらえなかったら、口説けば良かったのだ。
懇願して頼んででも、自分を好きになってもらえば良かったのだ。
 本当の恋を手に入れるのに、なりふり構っていては手に入らない。 
 そんな簡単な事がわからないのは、ロイも同じだった。

 
***

「はい、結構です。 これで、本日の業務は終了です」
 決済済みの書類を確認し、ホークアイがOKを出すと、
「ふうー、何とか終わったか…」
 嘆息しながら、椅子の背もたれに凭れる。
「お疲れ様でした。 今日は、細々とした案件が飛び込んできたので、
もっとかかるかと思っておりましたが、スムーズに進めて頂いたので、
助かりました」
 順調な進み具合に機嫌良さげに、労いの言葉をかける。
一時期、過去の悪い癖がぶり返して、頭痛の種だったのだが、
それもどうしたことか、少し前にピタリと治まり、ここ最近は書類決済を
溜める事もなく進ませてくれている。
「ああ、今日は将軍に呼ばれているんでね。 
 さすがに、遅れるわけにもいかないから」
 そう言いながら、帰り支度を始める。
「そう言えば、会食に呼ばれていたんでしたね。
 何か、あるんでしょうか?」
 微かに柳眉を寄せる副官に、ロイは手の平を振って返す。
「いや、今日は軍務の事ではないらしい。 何か、野暮用だとおっしゃって
おられたから、そう考え込まなくても大丈夫だろう」
 東方の将軍は、話のわかる好々爺で、ロイを買ってくれている人物だ。
 なかなか、茶目っ気が旺盛で、若造のロイでは太刀打ちできない事を
しでかしてもくれる。 少なくとも、勤務終了後に、仕事の延長のように
嫌々参加するというわけではないので、ロイも気楽に足を向けれると言うものだ。
「そうですか…、なら宜しいのですが。 でも、野暮用…?
 どう言ったお話なんでしょうね?」
 首を傾げて考えているホークアイに、「さぁ?」と相槌を打って、
先に退出する旨を伝えて、司令部を後にする。
 ロイが出て行った扉を見ながら、考え込んでいる風のホークアイに、
近くの席のハボックが気づいて、声をかける。
「中尉? どうしたんっすか?」
 ハボックの呼びかけで、いつまでも立ち尽くしているわけにもいかないと、
小さなため息を付きながら、自分の席に戻る。
 自分の様子のおかしさに、ハボックが心配そうに様子を窺っている。
「いえ、考えすぎならいいんだけど、仕事の話じゃなくて、野暮用で
呼ばれたとおっしゃってたんだけど、大佐位の年齢の男性に、
上司が野暮用と言う内容って…」
 そこまで話して口篭ると、ハボックの向いに座るブレダが言葉をはさむ。
「見合いじゃないですか?」
 ホォーとハボックが軽く驚きを示す。
「やっぱり、そう思う?」
 困ったように表情を曇らせるハボックに、周囲の者の方が不審そうに
視線を集める。
「あ、あのぉ…、中尉は大佐の見合いに反対なんですか…?」
 遠慮がちにフュリーが、尋ねてくる。
「いいえ、別にそれは構わないんだけど、どうも、大佐が一向に
察していらっしゃってなかったようなので、大丈夫かしらと」
 その返答に、皆内心ホッとする。 ホークアイ中尉は、司令部の
メンバーの密かな憧れでもある。 そして、希少な事に、
あの大佐に関心を持たないと言う、奇特な女性だ。 
その最後の砦まで壊されたら、男どもとしては、泣くに泣けない。

「解ってて気づかない振りしてたんじゃ」
 ポーカーフェイスの得意な上司だから、それも有り得るのではと、
答えるのに、ホークアイは首を横に振る。
「いえ、これは勘なんだけど、多分、全く頭になかったからだと思うの」
「そりゃまた、なんで?」
 今までも何度も見合い話が、舞い込んできたことがあるのだ、その度に、
断るのもめんどくさいと愚痴を言っていた本人なのだから、
多少は察してても良さそうなものなのに。
 首を捻るメンバー達に、ホークアイは躊躇いながら、返答を返す。
「多分…、意中の人が居て、そちらに気がいってるせいかと」
 躊躇いがちに言われた言葉に、司令部のメンバーが驚き声を上げる。
「「「 ええ~! 大佐にですかー!」」」
 耳を塞ぎたくなるような皆の声に、一瞬眉を顰めて、皆に視線を向ける。
「す、すんません…。 でも、あの大佐になんて、驚きが大きかっ
たんで…」
 勤務中に上げるような声ではなかったので、皆が恐縮しながら、
トーンを落として聞いてくる。
「で、でも、大佐に恋人っても、特に珍しいってわけでもないですよね?
 それが、何で今回に限って…?」
「まさか…、本命ですか?」
 静かな問いに、周囲の人間が、ゴクリと喉を鳴らす。
「そうだと思うんだけど…。 でも、はっきりと確認したわけでも、
確証があるような事があったわけでもないのよ。 ただ、何となく
そう思うと言うだけで」
 控えめにそう語るのが、ホークアイだからこそ、信憑性が高い。
「女の勘ってやつですね」
 皆が、なるほどと頷きあっている中、
「ややこしい事にならなければ、いいんだけど」
 と、聞き取れない位の小さな呟きを洩らす。




「はっ? 見合いですか…私に?」
 少々まぬけな様子で聞き返すロイに、目の前の老将軍が、フォフォフォと
可笑しそうに笑い声を上げる。
「この場合は、君しかおらんだろうが。 まぁ、わしでも構わんのじゃが、
生憎と妻も子供もおるんでなー」
と返すと、また、面白そうに笑っている。
 妻・子供どころか、確か成人している孫も複数いたはずだ。
「はぁ、いえそうですね」
 内心、厄介な話をと思ったところで、そんな事はおくびにも出さない。
「いや、先日にそのご令嬢とご家族が来ておったろう? あの時、
君に対応してもらった時に、大変好感を持たれてな。 令嬢だけでなく、
奥方やご兄弟も、君ならと大変乗り気らしいのじゃ。
いや~、やはり男前は得じゃなー。 グレンバッハ家と言えば、
伯爵の称号も持つ家系で、しかも、一門から歴代高官を輩出している家じゃ。
 しかも、その本家のご令嬢となれば、行く行くは跡とりも夢じゃないぞ。
 父親の中将とは旧知の仲でな、軍閥を除いても、なかなか見所の
ある人物じゃ。 君の後見にも、最適じゃないかの」
 まるで、自分の息子の良縁に喜ぶような老将軍の様子に、ロイは気は
咎めはするが、はっきりと断りの返事を返す。
「お気持ちは大変嬉しいと思うのですが、なにぶん、まだまだ若輩の身、
それほどの名門のご令嬢と私では、身に余り過ぎるお話だと思いますので」
 ロイの断りの文句にも、さして驚きもせずに、老将軍が返事を返してくる。
「なんじゃ、まだ遊び足りないのかね? 君もいい歳になってるんだ。
 いつまでも、若いつもりでいては、あっと言う間に売れ残るぞ。なぁーに、
それはそこ、向こうも貴族の家系じゃ、男の甲斐性の内位は、
目くじらも立てたりはせん。 どうじゃ、いい条件じゃろうが」
 要するに、浮気は家族公認で許可されると言うわけだ。
 全く…と、内心で嘆息しながら、しきりと勧めてくる老将軍の話を
気のない返事をしながら、聞き続ける。




「全く…」
 家に戻ったロイは、疲れきってソファーにドサリと倒れこむように、
腰を落とす。
 結局話は、老将軍の粘り勝ちで、とにかく席だけでも設けようと言うのに、
渋々了承の返事をしなくてはならない事になった。
 ロイが断る事等考えにも入れてなかったのか、色よい返事を
持ち帰る約束をしてきてしまっていた老将軍に、頼むから会うだけでもと
頭を下げられてしまえば、それ以上断ることも出来なくなってしまう。
 会うだけですかねと念を押しはしたが、会ってから断るのは、
更に面倒な事になる気がする。
 背もたれに凭れながら、頭の後ろで手を組んで、室内を仰ぎ見る。
 別に、こういう手段も考えなかったわけではない。 どうせいずれは
結婚するのなら、後々の事を考えて、最良の相手を選ぶ方が良いとも
考えていた時期もあったのだ。 
 特に結婚に夢や願望があるわけでもない。 なら、手段として有効なら、
さして、相手を気にする必要もない。
 多少、容姿が好みでなくとも、性格に難があろうとも、どうせ家に
戻る時間は対してないのだ。 一緒に過ごす時間が短いなら、
さほど気にする事もない。 
 『そう思っていたのだがな…』
 今回のような好条件は滅多に、いや、これを断れば、今後はまず出ないだろう。 
なのに…。
 自分の躊躇いの要因、そして、気乗りしない理由。 
答えがわかっているだけ、ロイの嘆息は深くなる。 
人に胸を張って紹介できる事も叶わず、将来を保障できる関係でもない。
 しかも、ロイの片恋に近いのが、現在の状況なのだ。 それを理由に
断れる事もできない恋を、自分がしているなぞ、自嘲の笑いを
浮かべるしかない。
『重症だな…』 
 手の平で目を押さえながら、そんな感想を浮かべる。
 今のロイの状態は、恋をしている等と可愛いものでは、もうない。
 嵌っていると言う言葉が、1番近いだろう。
 一回りも違う、しかも少年に。 
 自分でもここまで重症だとは思わなかった。 これだけの好条件を、
あっさりと断る位には、どうやら自分は、あの少年にどっぷりと
嵌り込んでいるようだ。
 何故、どうしてと考えるのは、とうの昔に止めている。 
そんな事は、関係を持った当初の頃に散々と考え尽くした。
 結果、どうしようもなかったのだ。 あの少年に、エドワード・エルリックと言う、
生意気で、頑固で、横柄で、口の悪い。 そして、誰よりも強く、
気高い魂を持ち、人の痛みに弱く、優しい心を持つ、あの美しい少年に、
引き込まれるように惹かれたのは、自分なのだ。
 ロイは、瞼の中に鮮やかに映る姿を見つめる。
 いつも、少しだけ不貞腐れたような表情で、しっかりと前を睨むように
見つめ、意思を表すように、固く唇を噛み締めている表情は、
1番エドワードらしいと思っている。 笑い顔でも、怒り顔でも、
ましてや泣き顔でもなく。 常に前を見据えている彼が、ロイの中に、
鮮烈に浮かんでくる。
 瞼に焼き付いている姿を愉しんでいると、室内に設置された電話が
鳴り始め、一時の喜びを消し去っていく。
「全く、少しくらいは、愉しみを持っても罰は当たらないだろうに」
 愚痴の独り言を洩らしながら、不機嫌な気持ちのまま電話に出る。
「はい。 マスタングだが」
 ロイの、あからさまな不機嫌な声に、かけてきた相手が躊躇う気配を
伝えてくる。 軍の者なら、こんなロイにも慣れっこで、
気にせずに本題に入ってくるだろう。
「もしもし?」
 かけてきたくせに、なかなか名乗らない相手に、苛立ちのまま再度、
相手に呼びかける。
『あ、あのぉ…。 ご、ごめん、仕事終わった後なのに…』
 気後れしたように返された声を聞いて、驚くようにロイが名前を呼ぶ。
「鋼の!? 本当に君か? あっいや、別にこちらは全然構わないんだ。
 どうした? 何かあったのか?」
 驚きのあまり矢継ぎ早に尋ねるロイに、エドワードが申し訳なさそうに、
話してくる。
『いや…、そのぉ、別に何かあったってわけじゃなくて、今度戻るから、
それだけ連絡しておこかと思って。 
 べ、別に明日でも良かったんだけど、司令部に電話したら、
珍しくもう帰ったって言うしさ、じゃあ、伝言だけでもと思ってたら、
中尉に、大佐ももう戻ってる頃だから、直接電話しろって言われてさ』
 自宅にかけてきた事がなかったせいか、思わず言い訳がましく説明している
エドワードの声を聞いているうちに、ロイは自然に笑みを浮かべてしまう。
「そうか、わざわざありがとう、すまなかったね。
 今日は、老将軍と食事に出ていてね、さっき帰ったとこなんだ」
 最初とは打って変わって、明るくなる口調は、止めようがない。
『うん、中尉に聞いた。  大佐、そのぉ…、何か嫌なこと言われたのか?』
 心配してくれているのだろう。 そんな風に聞いてきてくれる彼の心遣いが、
嬉しくて仕方がない。
「いや、たいした事じゃないよ。 嫌な事と言うより、
少々めんどくさい事を頼まれてしまったんで、腐ってただけさ」
 相手に気にかけさせないように、努めて軽く話す。
『へぇ、任務なのか?』
「いいや、全くの私用だ。 気乗りはしないが、老将軍の顔を潰すわけにも
行かなくてね。 面倒くさい事でも、引き受けるしかない、
可哀相な状況なんだよ」
 ロイのおどけた物言いに、笑い声を返してくるのに、気を良くする。
「それで、今度はいつ戻ってくるのかね?」

 彼らの帰る日時から、その日の食事の約束も掴んで、酷く気分が
浮ついてしまう。 しかも今度は、しばらくの間、イーストに
逗留すると言うのだ。 浮かれずにおれないわけがない。 
 滞在中に過ごす計画を色々と考えていると、先ほどまで悩ませていた事など、
些細な事に思えてくる。
「まぁ、何とかなるだろう」
 そんな楽観を抱きながら、断る方法を考えておこうと決める。
 いつも慎重なロイらしくもない思考は、その後自分の足を引っ張ることに
なるのだが、恋に落ちている愚かな男の頭の中では、すでに恋人と
過ごす時間を思うことで、一杯になっていた。





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